ザ・借家 誕生秘話
ザ・借家誕生秘話
1994年に誕生。
みなさまに支えられて、全国13,000戸以上の実績。
「ザ・借家」の誕生は1994年。
バブル崩壊、繊維不況、税制改正が重なり、賃貸住宅は空室だらけの時代でした。
だからこそ私たちはマーケティングを行い、入居者が望む新しい賃貸を開発。
そこから生まれた戸建て感覚の「ザ・借家」は入居抽選会を開くほどの大人気でした。
1994年当時と変わらず現在も、入居率97%とその魅力は衰えていません。
悪戦苦闘の商品開発
ザ・借家物語
昔の近江商人には『三方よし』という考え方があったそうです。
私たちはこれを、お客様から教えていただきました。
入居者さんに喜んでもらい、施主さんは安定した不労所得が得られ、私たちも利益をいただける。
いい借家があれば、できること、とわかりました。
「借家のおかげ」
ということばが、いまも、たからものになっています。
二十年ほど前。尾張にとんでない大津波が訪れました。
それはトリプル不況。バブル崩壊、繊維不況、税制改正の波と、三つ重なった大津波でした。
アパートやマンションは空室だらけで、ガラガラです。
ひどい苦境に陥りました。
もがいた末に「アパートではダメだ」とわかりました。
どうすればいいかはわかりません。仲間が次々に去っていきました。
苦境の中で、ふと、農家をまわっていた頃に、年配の地主さんがよく言っていた言葉を思い出しました。
.........「借家のおかげ」
「借家があるおかげで、子供を学校に行かせられた。
魚や肉も買えた。生活ができた。借家のおかげ」と。
すでに住宅は余っている状態でした。
将来、若い人が減り、人口も減る。
その中でやっていけるのは、昔もいまも歴史的に継続している借家以外にはないと、確信しました。
さまざまな借家を見てまわり、研究しました。
家賃は値打ちな方がいい、建築費も安い方がいい。
難しいように思えましたが、大工さんの技術があれば、高い品質で、長持ちさせられることもわかりました。
入居者は騒音をとても気にしており、プライバシーを守れる一戸建てのような家に住みたがっていることもわかりました。
そしてできたのが、一・二階専有型のメゾネットタイプの建物です。そして商品名。
これは「借家」という名前以外に考えられません。みんなに反対されましたが、新しい時代の借家ということで「ザ」をつけて、「ザ・借家」というネーミングにしました。
愛知県一宮市で、第一号の建築が始まりました。木造の、一戸建てをつなげたような、ほとんど見かけない新しいカタチの建物です。最初は原価がうまく収まらず、赤字の工事でしたが、無事完成し、抽選会を開くほどの入居希望者が集まりました。自信がついて開発と改良を続けて行きました。
その結果、一年を経過したころから、事業として先が見えるようになってきました。
尾張だけでなく中部全体へ、関東や関西へも広がりました。
いろいろな種類の借家をつくりました。
写真家のアラーキーさん(荒木経惟さん)がやってきて、
ザ・借家と、そこに住む人たちの写真を撮ってくれました。
一棟一棟、ソロバンが合うように、努力をし続けました。
つくる棟数が増えたことで、お値打ちな価格でやってくれる大工さんが増えてきました。
材料も前よりずっと値打ちに仕人れられるようになりました。
いまもお客様から教えられた
「借家のおかげ」
ということばが、珠玉の教えになっています。
あれから何十年と経ち、私たちのメゾネット賃貸住宅が13,000戸を突破したいまも、変わっていません。